心理学のレポートに追われる日々です。
週末、誰にも会わずひきこもって”現代における犯罪心理学の意義”について執筆。
(はは。なんか、本格的でかっこいいね。)
そして月曜日。
2日間世間から隔離されていた私は、同僚としゃべる気満々で出社。
しかし、同僚は有給だった。
以前の私なら、あきらめて黙々と仕事をしていただろう。
けれど今回は違った。
気がついたときには、わざわざ別の同僚を呼び出して、
『寂しいから相手してくれ』といっていた。(もちろん、仕事の合間にね!)
と同時に、気がついた。
『寂しい』という感情をこんなにストレートに人に伝えたのは生まれてはじめてだ。
昔は、『寂しい』と人に伝えるなんて、かっこ悪いことだとか、恥ずかしいことだと思っていた。
でも最近、『寂しいものは寂しいとするか』と認めることができるようになった。(年か?)
こういう感情を認めることができると、心はすーっと軽くなる。
それを人に話して、共感してもらえたりすると、たいしたことないなあと、もうどうでもよくなる。
喜怒哀楽。
喜と楽は自然に認識できる。(そりゃそうだ!)
けれど、怒と哀は遠い。
こういう感情は、出てくるとすぐ心のバケツにふたをしてみなかったことにする癖がある。
けれど、バケツには限界があるから毎回蓄積しているといつかあふれ出してしまうときがくる。
でも今日は自然に触れた。
また逢おうね、哀ちゃん。